倶楽部の依子さんから聞いた話だ。
依子さん自身、依子さんの友達から聞いた話だそうだ。月と野良犬の話である。
月が野良犬に話をもちかけていた。
「ねぇ、野良犬。力が欲しくないかい?」
「どんな?」
「わたしはね、常々思っているんだが、きみたち野良犬は不当ないわれのない差別を受けていると思うんだがどうだろう?」
「……….」
「だまっているね。うんうん。やっぱりきみもそう思っているんだねぇ」
「そんなことはない。」
「いや、わたしにまでそんな風に云うことは無いよ。なにしろわたしはきみの味方なんだから。」
「信じられんな。月の言うことは信じるなという格言を知っているか?」
「あはは。そんな格言は知らないね。わたしほど真実を告げるものをわたしは知らない。まぁ、聞けよ。きみには助けが必要だ。そうだろ?」
「ぼくは、誰の助けもいらないし、欲しいとも思わないよ。」
「ああら、あら、どうやら一匹狼にでもなったつもりらしい。勘違いしちゃいないかい?きみと狼じゃそれこそ月とスッポン野良犬と狼じゃ大違いだ。語感からして違うじゃないか。一匹狼と一匹野良犬。ううん。違い過ぎだ。怒らないでくれよ。それこそ、それこそがきみたちが不当な差別を受けているという証拠だと思わないか?」
「馬鹿にしているのか?」
「どうしたら解ってもらえるのかな?わたしは、そういう不幸な立場にいるきみに力を与えたいなと思っただけなんだがね。」
「ぼくにはどうしてもあなたが信じられないよ。何を企んでいるんだ?」
「慈悲の心だと言っても信じてもらえないんだろうな。それこそが真実なんだが。」
「だいたい、どうやって力を与えるというんだ?」
「お、少しは話を聞いてくれる気になったのかな?ここにある契約書にサインして、この甘いリキュールを一口飲んでくれればそれでオッケーって具合の簡単な事なんだ。どうだい?試してみるかい?」
「それで、それだけで本当に僕たちに力が?」
「そう、それだけだ。月の光に誓ってそれだけだよ。どうだい?」
野良犬は考えに考えて考えた末、月の申し出を受けることにしました。本当に簡単な事でしたし。
野良犬は月の機嫌が変わらない様、慇懃に言いました。
「わかった。疑って悪かった。きっとあなたの言うことは本当なんだろう。暗い夜道を歩くぼくらの足下をいつも照らしてくれたあなたの光には感謝しているし、誰かがあなたの言うことはうそっぱちだって言っても、それを信用なんかしちゃいけなかったんだ。あなたと僕らはいつも一緒に居た。それを忘れちゃいけなかったんだ。すまなかったよ。どうかぼくに力を与えて下さい。」
月はにっこりと笑うと手にした青いリキュール入りの瓶を床に落とした。カシャンと音がして瓶は割れて床にシミを作った。そして、契約書を手に取ると一気にやぶり宙にばらまいた。
「なにをするんです!」
「いやぁ、すまなかった野良犬。今気付いたんだけど、野良犬はやっぱり野良犬だったよ。わたしの力を持ってしても、きみたちに力を与えてやることなんかは到底無理だというわけだ。悪く思わないでくれよね。それじゃあ、もうそろそろ昇らなくちゃならない時間だから、これで失礼するよ。」
それから野良犬はひねくれてしまった。野良犬が月に向かって吠えるのは恨みや文句を言っているのだ。
「ねぇ、ヒツジさん、どう思う?」
依子さんはぼくにこう聞くのだが、ぼくはどう答えていいのか解らず、ただ変な顔をしているしかなかった。
特に教訓が有るわけでは無いし、野良犬がなんで簡単に月の言うことを信じたのかもわからない。強いて言うならやはり月の言うことなんか信じちゃいけないという事なんだろう。僕がそう言うと、依子さんは
「あたしは月ってそんなに悪いやつじゃ無いと思うんだけど…」と少し照れたように頬を赤くして言った。
依子さん、もしかしたら昔月とおつきあいしていた事があったのかしら。
倶楽部からの帰り道、僕の背中には満月が冷たい光をなげかけていた。僕の前に有る月の光で出来た僕の影がなんだか僕を笑っているような気がした。なぜだか僕が野良犬だと言われている気がした。
僕は振り返ると満月に向かって、どこかの誰かみたいに手をピストルにしてパンと撃ってみた。月は落ちもせず、月が怒って追いかけても来なかった。
「ちぇっ、つまんない。」
こういう夜は、酒でも飲んで寝てしまうにかぎるのだ。











